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アーツセラピーを社会に広げるコラム What’s New
アーツセラピー試行錯誤の旅
一般社団法人アーツ・コミュニケーション・ラボ理事長の北尾真理子です。
なぜ、人生後半に差し掛かった私が、日本でアーツセラピーを広めたいと思ったかについてお伝えしたいと思います。
私とアーツセラピーとの出会いは、2014年春のことでした。
友人に勧められ、NPO法人レジリエンス主催の「心のケアファシリテーター養成講座」に参加していた時でした。
60年近く生きてきた私は、その時、「アーツセラピー」という言葉を初めて耳にしました。
NPO法人レジリエンスのスタッフにも、アーツセラピストの方がおられ、彼らの講座にはアートセラピーの要素がところどころに盛り込まれていました。
欧米では、家庭環境に問題がある子どもたちが暮らしている施設や青少年対象の更生施設でもアートセラピーが取り入れられていると聞きました。
最初は、黒一色でしか絵を描けなかった子どもたちが、アートセラピーのワークを続ける中で、表情が明るくなり、それに伴い、色とりどりの絵具やクレヨンで絵を描くように変わって行くという話も聞きました。
NPO法人レジリエンスでも日本でも子どもたちを対象に、アートセラピーを体験できる機会を提供されているようでしたが、画材の準備やアートセラピストの方々をお呼びするための費用を捻出するのにコストがかかり、子どもたちは、もっと何度もやりたいと言ってくれるものの、実際には、コストやそれにかかる時間や労力を考えると、なかなかそういう機会を設けることができないと嘆いておられました。
ちょうどその頃、私は、両親が住んでいた持ち家を売却したところで、手元にちょっとした資金がありました。
幸か不幸か独身で子どももいないため、自分一人が、生活できればよいという状態でしたので、その資金をアーツセラピーの普及に投資しようと決心しました。
幸か不幸か独身で子どももいないため、自分一人が、生活できればよいという状態でしたので、その資金をアーツセラピーの普及に投資しようと決心しました。
NPO法人レジリエンスのスタッフの方も話しておられましたが、問題のない家庭で育った子どもは、逆三角形の底辺のように両親が上でつながっていて、子どもはその下、即ち逆三角形の頂点の部分に居るのが自然な形であるにもかかわらず、複雑な家庭環境で育った子どもは、底辺がつながっていない三角形の頂点の部分に居る、つまり、親よりも上の立場になろうとするのだそうです。
私が思春期の頃、両親の折り合いが悪くなり、結果的に長期にわたり、両親が別居することになりました。
私は一人っ子でした。
ある日、両親から別居するようになったことを告げられ、「どちらと一緒に居たいか」と尋ねられました。
家を出る母についていくのか、自宅に父と残るのか、どうしたいのか、と決断を迫られました。
私は一人っ子でした。
ある日、両親から別居するようになったことを告げられ、「どちらと一緒に居たいか」と尋ねられました。
家を出る母についていくのか、自宅に父と残るのか、どうしたいのか、と決断を迫られました。
両親が上に居る逆三角形の状態の過程で育っていたら、もちろん、両親も別居することもなかったのでしょうが、別居するからどちらについてくるかときかれても、『別居するなんて、そんなこと、あり得ない』と抗議をしたかもしれません。
でも、その時点では、既に、両親の上に私が立っているという正三角形の状態だったので、私は心の中では、そんなことあり得ないと思っていたにもかかわらず、実際に口から出た言葉は、『どっちにもついて行かない。私は1人で住む』というものでした。
でも、その時点では、既に、両親の上に私が立っているという正三角形の状態だったので、私は心の中では、そんなことあり得ないと思っていたにもかかわらず、実際に口から出た言葉は、『どっちにもついて行かない。私は1人で住む』というものでした。
その後、実際に母が家を出て行ってから、約14年ほど1人で暮らしました。
もちろん、経済的な援助は全面的に父から得ていましたし、住んでいた部屋も、父が所有していた自宅と目の鼻の先にあるマンションの一室でした。父が暮らす自宅にはお手伝いさんが住み込みで家事をしてくださっていたので、食事や洗濯などは甘えていました。
もちろん、経済的な援助は全面的に父から得ていましたし、住んでいた部屋も、父が所有していた自宅と目の鼻の先にあるマンションの一室でした。父が暮らす自宅にはお手伝いさんが住み込みで家事をしてくださっていたので、食事や洗濯などは甘えていました。
経済的には恵まれていましたが、精神的にはかなりつらい体験を色々としたのですが、もし当時の私が、アーツセラピーを知っていれば、そして、誰かにアーツセラピーをしてもらっていれば、その時の辛い体験の受け止め方やその後の生き方も変わっていたかもしれないと思いました。
そこで、私の中に、ぜひとも日本でアートセラピーを広めたいという思いが、ふつふつと湧き上がってきたのです。
ただ単にアートセラピーを広めたいと思っても、まず自分自身がアートセラピーを知らないとダメだと思い、すぐに、自宅の近くでアートセラピーを教えてくれる場所がないかと探し始めました。
たまたま、アートセラピーなら、神戸に森すみれ先生という先生がおられることを耳にし、早速、探したところ、ちょうど直近に、3日間のアートセラピー速習コースを開催されるという記事を目にし、『まず行動』という母の遺言の1つに従って行動するように心がけていた私は、すぐさま受講を申し込みました。
以前、カラーの勉強をしていた従妹が簡単なアートセラピーのワークをしてくれたことがあったのですが、本格的に勉強するのは初めてのことで、ドキドキしながら神戸の事務所に伺いました。
アートセラピーという言葉を初めて耳にしたのが、2014年の3月。
そして、森すみれ先生の速習コースを受講したのが4月末から5月頭の連休の時。
「アートセラピーを広めたい」という一心で、森すみれ先生が個人で運営されていたアーツ・コミュニケーション・ラボを一般社団法人として立ち上げたのが同年6月。
そこから、私にとって、アートセラピーに関する試行錯誤の旅が始まったのです。
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